幸せのおすそわけ 9
自分の気持ちをどうやって伝えたらいいのかわからない。
でも、俺はやっぱりお前がいいんだ。
お前じゃなきゃ駄目なんだ。
「よう、久しぶり」
後藤はいつも通りの眠そうな顔で座敷に入ってきた。
「ばんは〜」
「……こんばんは」
そして遊馬に続き、野明が座敷に入り、襖を閉めた。
年末も近いこの季節、いくら東京とは言え、息が白むくらいには気温も下がる。
座敷に入った瞬間の暖かさと、みなの変わらない笑顔に、野明はこわばった身体からふっと力が抜けるのを感じていた。
しかし、視線を感じそちらに目を向けると、背中越しに遊馬が自分の顔を見つめていることに気づき、野明は再び身体を強張らせた。
そんな野明をしばし見つめ、遊馬は正面に顔を戻し、野明にわからないように小さくため息をついた。
「あ、こんばんは〜」
久しぶりに見た、遊馬と野明の姿に、進士とひろみはお互いに顔を見合わせ、笑い合った。
何があったのか。
それは遊馬と野明しか知らない。
そして、真実をしっかりとわかっているのは野明だけ。
(やっぱり、いつものちょっとした諍いだったに違いない)
進士とひろみの2人はそう思っていた。
だが、それは大きな思い違いで、これから起こる嵐の前の静けさに過ぎないことを、2人は全く気づいていなかった。
「隊長、お久しぶりです!」
太田がいきなり立ち上がり、後藤に敬礼をした。
あいかわらず、太田は階級に弱い男であった。
「太田よ。 俺はもうおまえの上司じゃないんだがな」
そう言いながらも、後藤は少し懐かしそうに笑った。
「は、いや、しかし……」
「隊長、お疲れさまです」
これ以上、太田が堅苦しいことを言い出さないようにか、熊耳が軽く会釈をした。
「はい、お疲れさん」
太田は、自分の行為が軽く流されてしまったことに、少し納得のいかない顔をしたものの、大人しく腰を下ろした。
後藤がみなに促されて上座に向かい、「どっこらしょ」と腰を下ろし、野明が熊耳の隣に、そして遊馬が野明の隣に腰を下ろすと同時に進士とひろみが腰を上げ、テーブルの瓶ビールの栓を抜き始める。
この飲み会を始めてまだ最初の頃、同じように熊耳と野明が栓を抜こうとしたのだが、「僕たちがやりますから」と進士とひろみに言われ、それ以来、乾杯の時の瓶ビールの栓抜きは、何となく進士とひろみがすることになってしまっていた。
シュポン、と心地のいい音が座敷に響く。
同時にガスコンロも点火され、すき焼きのいい香りがふんわりと座敷に広がり始めた。
「隊長、どうぞ」
「はいはい」
進士が差し出したビールをグラスに注いでもらいながら、後藤は遊馬と野明の様子を静かに見つめていた。
遊馬と野明はいつもと変わらずに、並んで座っている。
が、座敷に上がってから一言も言葉を交わしていない。
正確に言うと、八王子から、ここに向かっている間中ずっと。
遊馬は、普段通りの様子で、ビールを注いでくれたひろみともにこやかに談笑しているが、野明はずっとうつむいたままで、遊馬とは全く会話をしていない。
遊馬とは対象的な野明の態度。
気にならないと言ったら、全くの嘘になるが、敢えて態度に出すつもりもない後藤は、そのまま静かに傍観を決めこんでいた。
「よ〜し、全員行き渡ったか〜」
まるで、自分が注いで回ったのような太田の態度にも、今更誰も突っ込むこともない。
「隊長、乾杯の音頭をお願いします!」
「はいはい」
太田の言葉に、後藤がグラスを上げた。
「え〜、とりあえず、みなお疲れさん。 じゃあカンパ〜イ」
緊張感のない雰囲気で、後藤が乾杯の音頭を取ると、それにならい、各々が「カンパ〜イ」とグラスをぶつけ、そして傾けた。
「さ〜て。 飯だ飯だ」
転出になったにもかかわらず、食糧事情の好転が全くない太田が、やはり一番にすき焼きに箸を伸ばす。
卵を割り入れ、箸で混ぜる音。
『肉ばかり取るな』と怒鳴る声。
懐かしいメンバーが久しぶりに全員揃っていた。
自然と笑顔がこぼれ、埋立地にいた頃に戻ったような懐かしい雰囲気の中、進士とひろみがひそひそと小声で何やら話しをしている。
「遊馬さんと泉さん、やっぱり喧嘩してるんでしょうか……」
ひろみが、身体に似合わない小さな声で、進士に問うた。
「何か、泉さんの様子がおかしいですよね……遊馬さんはいつも通りみたいですけど……」
進士の言葉に、ひろみが「うんうん」と頷く。
やはり野明は一言も言葉を発することなく、ありえないことに、ちびちびとビールを口にしているのだ。
『伝説』と謳われる野明が酒を飲まない。
『これはやはり何か遊馬との間に何かあったに違いない』と2人は心配の色を濃くした時、野明の隣で太田と肉の取り合いをしていた遊馬が口を開いた。
「野明」
「は、はひっ」
呼ばれた瞬間、野明の手が一瞬震え、グラスの中のビールが小さな津波のように波を立てた。
一瞬にして、野明の顔から血の気が引く。
「この前のことで話しがある。 飲み会が終わったら付き合え」
途端に赤くなり、ますますうつむいてしまった野明を見て、遊馬は一人で勝手に覚悟を新たにしていた。
(やはり、やってしまったことの責任は取らなければ……)
勘違いもここまでくると大したものである。
遊馬と野明の会話は聞こえないものの、青くなったり、赤くなったりを繰り返す野明を見て、進士とひろみはただおろおろとしている。
そんな時、遊馬と野明の間に流れる微妙な空気を、これまた珍しいことに太田が感じ取り、言ってはならない余計な一言を口にしてしまった。
もっとも、太田にしてみればいつもの軽口だったのだが。
「こらぁ! 篠原! 泉! ノリが悪いぞ、ノリがぁ! 何だ!? 痴話喧嘩か!? そんなくだらんこと、2人きりの時にやらんかぁ!」
瞬間、遊馬の眉間に深い皺が寄り、進士とひろみはわたわたと慌てたが、時すでに遅し。
まだ野明との話しも出来ていない状態で、遊馬は、太田の軽口を同じように軽口で返せるほど、余裕のある状態ではなかった。
「うるせぇな! お前には関係ないだろう! お前にはくだらないことでも俺達にとっちゃあ重要なことなんだよ!」
遊馬がグラスをテーブルに叩きつけるように置き、太田を怒鳴りながら立ち上がった。
「何だとぉ!? くだらないからくだらないと言っとるんだっ!」
酒も入って、遊馬と太田の勢いは止まりそうにない。
「ふ、2人とも落ち着いて……」
今にも掴みかかって取っ組み合いに喧嘩を始めそうな2人に、今日何度目になるのか、またわたわたと慌てた。
そして立ち上がり、進士が遊馬を、ひろみが太田を止めようと2人の横に立った。
しかし、この2人が本気で喧嘩を始めたら、まず止めるのは不可能に近い。
そんな様子を慌てもせずに、後藤は煙草をふかし見物を決め込んでいた。
そうやら本当に傍観に徹することにしたらしかった。
唯一、力ではなく言葉と態度で止めることの出来る熊耳も、いつの間に飲み始めたのか、手酌で熱燗の杯を重ねていて、目の前に状態にはまるで関心がないように見受けられた。
元上司と元同僚2人のあまりと言えばあまりな態度を見て、進士とひろみは溜め息をついた。
そして、進士もひろみも覚悟を決めたのか、大きく音を立てて唾を飲み込んだ。
飛び掛ろうと2人が腕を上げた瞬間、今まで遊馬の隣に座っていた野明が立ち上がり、握り締められていた遊馬の右拳を両手で包みこんだ。
「あ、遊馬、落ち着いて! あたし、この前のことなら気にしてないから……」
「はぁ!? お前何言ってんだ!?」
気にしていないと言いつつ、遊馬と目があった瞬間、視線を逸らした野明に、とうとう遊馬も限界を超えてしまった。
普段の野明との会話では絶対ありえない口調でまくしたてた。
「じゃあ、何で俺のこと避けてたんだよ!?」
「な、何でって……だって……」
視線を逸らしたままの野明の頬が見る見る間に赤く染まる。
よくよく見ると、目元にはうっすらと涙が光って。
刹那、遊馬の脳の回線が音を立てて吹っ飛んだ。
飲み会が終わってから、何処か近くのファミレスにでも野明を連れて行って、野明とこの前のことをキチンと話そうと思っていた。
自分の部屋で話をしたほうが、落ち付いて話せるとも思ったのだが、この前のことを思い出してしまい、野明がきっといやな気分になる。
そう考え、敢えてファミレスを選択した。
しかし、野明に涙を見た瞬間、そんな計画は脳から削除され、ここが居酒屋で、飲み会の最中だと言うこともすっかり忘れ、遊馬は出した答えをはっきりと野明に伝えようといていた。
「野明」
自分の拳を包みこんでいた野明の両手に、空いていた左手を重ね、遊馬は野明の名前を呼んだ。
「……あす、ま……?」
名前を呼ばれた瞬間、今まで遊馬から発せられていた怒りの空気が消えていることに気づいた野明は、ゆっくりと顔を上げ、そして遊馬を見た。
今までに見たことのない、遊馬の真剣な表情に、野明は思わず見入ってしまう。
特車二課に配属されて、フォワードとバックアップとして命がけで任務を遂行した時の表情も。
そして八王子に転出になってからは、野明の搭乗している実験機を、データのチェックをする時の、モニターをにらみつけるような表情も。
ずっとずっと遊馬の真剣な表情を、何度も何度も見ていたはずなのに。
仕事の時とは違う眼差し。
野明は視線を外すことなく、静かに遊馬の顔を見つめ続けた。
すると遊馬がゆっくりと口を開いた。
「野明、俺と結婚してくれ」
BACK NEXT