幸せのおすそわけ 10
色々勘違いやすれ違いもあったけど
遊馬の、まっすぐで純粋な感情が嬉しい。
そして、嬉しくても涙が出ることを初めて知ったよ。
遊馬が超特大の爆弾宣言をした瞬間、後藤、熊耳を覗く他3名のアゴががくん、と落ちた。
水を打ったように静まり返った座敷に奇妙な沈黙が流れた。
襖一枚を隔てた廊下の方から聞こえてくるザワついた声が、やたらと大きく聞こえてくる。
「ケッコン……?」
一番最初に口を開いたのは進士だった。
「セキニン……?」
ぼそりと一言呟いたあと、遊馬の言葉で何かを想像してしまったらしいひろみの顔が赤くなり、そして青ざめた。
「セキニンヲトッテケッコン……?」
棒読みで、遊馬の言葉を復唱した太田が、何かの回線が繋がったかのように、両腕を肩の高さまで上げ、そしてテーブル越しに遊馬の胸元を掴み上げた。
「し、し、篠原貴様〜っ! 責任とって結婚だぁ!? な、何ちゅうふしだらな!」
遊馬の胸元を掴んで揺さぶりながら、太田が真っ赤な顔で叫んだ。
「不純異性交遊じゃないかぁ! 警察官たるものがそんなことやってもいいと思ってんのかぁ!」
「ああっ!? 俺たちゃ未成年じゃね〜んだからやってもいいんだよっ!」
遊馬が太田の腕を振り払って叫んだ。
言うに事欠いて『不純異性交遊』と言った太田。
未成年ではないので、法律違反ではないと正論を唱えた遊馬。
どっちもどっちの低レベルな内容で、こんなところで大声で叫ぶことではないとその場にいた全員が思った。
が、2人にそうツッこもうなどと思う者は、この場には誰一人としていなかった。
そして、当事者の一人である野明は、遊馬の爆弾攻撃を受けて、遊馬の腕を掴んだままフリーズしていた。
「ふ、2人ともとりあえず落ち着いて……」
一触即発の危ない雰囲気に、一番最初に我に返った進士が遊馬を落ち着かせようと、遊馬の近くでわたわたと腕を動かした。
その様子に気が付いたひろみが、太田を押さえようと両手を広げた。
こんな状態になってしまっては、進士やひろみだけでは押さえきれないということを2人とももよく分かっていたが、止めずにいられない難儀な性格をしていた。
「盛り上がってるところ悪いんだけど」
今にも取っ組み合いの大喧嘩になりそうな険悪な空気を切り裂くように、熊耳が口を開いた。
そして、これまたとんでもないことを口にした。
「この娘、まだ処女よ」
「……ハイ?」
遊馬に続く熊耳の爆弾宣言に、ゆっくりと視線が野明に移動した。
途端に、違う世界に行ってしまっていた野明の意識が戻り、今までに見たことのない朱色に頬が染まる。
ありえない熊耳の言動に、今度はみんなの視線が野明から熊耳の顔、そして手元に移動した。
いつの間に飲みだしたものか、手元の飲み物がビールから熱燗に切り替わっており、後藤を除いたメンバーが特車二課時代の慰安旅行を思い出し、『この場に香貫花がいなくて本当によかった』と、全く場違いなことを考えたことなど熊耳は知る由もなかった。
みんなの突き刺さるような視線をものともせず、再び熊耳は爆弾を投下した。
「泉さん」
「ふ、ふひゃい!」
熊耳にいきなり名前を呼ばれ、遊馬の腕にしがみ付いていた野明が背筋を伸ばし、形容しがたい声で返事をした。
「あなた、篠原くんとしたの?」
みんなが避けて通っていた地雷原に、熊耳は見事に足を踏み入れてしまった。
事実を追求するため、地雷原にさえも足を踏み入れる。
それが熊耳だった。
次々と投下される爆弾に、野明は遊馬の腕にしがみ付いたまま、下を向いてしまった。
うつむいているのにもかかわらず、野明の頬が真っ赤に染まったままなのが、安っぽい蛍光灯の光でもよく分かる。
「どうなの?」
熊耳の追求の手は緩むことなく、野明は緊張のためか、ゴクンと唾を飲み込んだ。
つられて、メンバーを唾を飲み込む。
「……」
しばしの沈黙の後、ついに観念した野明がもごもごと口を動かした。
「……ません」
「……え?」
消え入るようなか細い声で、野明が口にした言葉。
聞こえたのは、遊馬だけであった。
「今、何て……」
聞き間違いをしたかと、遊馬が聞き返す。
「だからっ! してませんっ!」
やけくそになった野明が半べそをかきながら叫んだ。
野明の言葉を聞いた太田、進士、ひろみのあごが再び、がくん、と落ちた。
そして、それ以上の追求に耐えられなかった野明が続けて叫んだ。
「ただ、一緒にベッドで寝てただけです!」
ぜえぜえと肩で息をする野明を見つめたまま、遊馬がぼそりと呟いた。
「ただ……寝ただけ……?」
「やっぱりね」
お銚子からグラスに熱燗を注ぎ、自信たっぷりに熊耳は言い切った。
瞬間、熊耳の一言で、魂の抜けかかっていた遊馬が何とか立ち直り、自分の腕につかまっていた野明の手をがっしりと掴みかえした。
「ただ一緒に寝ただけって、じゃあなんでお前俺のワイシャツ着て寝てたんだよっ!」
噛みつかんばかりの勢いで、野明に詰め寄る。
「だって服着て寝るの嫌だったんだもんっ!」
二十歳もとっくに過ぎた女性が「だもん」はないだろう、と以前遊馬に言われたことのあった野明であったが、そんなことを思い出して言い直す余裕が今の野明にあるわけもなく、暴露大会とも思える遊馬と野明の言葉の応酬が始まった。
「じゃあ、何でワイシャツのボタンしてなっかったんだよっ! 胸丸見えだっただろうがっ!」
「ボタンかけるの面倒臭かったのっ!」
「ただ寝てただけだったら、俺を避ける必要ね〜だろうがっ!」
「あんな恥ずかしい格好見られて、平気な顔して会える訳ないじゃないっ!」
「ところで篠原君」
ここら辺で止めた方がいいのではないかと、みんなが思い始めた頃、熱燗でアクセル全開になってしまっていた熊耳が再び、爆弾投下のスイッチを押す一言を放った。
「はい?」
名前を呼ばれ反射的に熊耳を見た遊馬に、とうとう爆弾が投下された。
「あなたもしかして、お酒で記憶がないんじゃない?」
熊耳の問いかけに、遊馬はこの前のことを反芻し始めた。
『野明が酒を持って部屋に来て、そしていきなり殴られて……それから2人でしこたま飲んで……で、それから……目が覚めたら、野明がおれのワイシャツを着て寝てて……』
何度思い出そうとしてもやはり思い出せない。
遊馬はため息をついて白状した。
「はい、ありません……」
遊馬ががっくりと肩を落とした瞬間、今度は野明が反撃に出た。
「記憶がないって……記憶がないのになんでそんな風に思い込んだのよっ!」
遊馬と一切連絡を取らず、記憶から抹消出来るのならしたいと思っていた恥ずべきことを、みんなの前で暴露する羽目に陥ったことは、野明の怒りの起爆スイッチに点火するには十分だった。
「たらふくお前に酒飲まされたせいで記憶がとんでるんだよっ!」
「男の人って……」
再び口を開いた熊耳の言葉に、みんなその場から逃げ出したい衝動に駆られた。
が、逃げ出せる訳もなく、とうとう熊耳は、核爆弾級の言葉を投下してしまった。
「男の人って……ヒクッ……お酒飲んだら役に立たないわよぉ……」
空になってしまったグラスを回しながら、真っ赤な顔で熊耳が、クスリ、と笑った。
熊耳のとどめの一言に、後藤も含めみんなの顔が引きつったのを、野明は見逃さなかった。
どうやらその場にいる男全員に身に憶えがあるらしく、各々の顔に何とも言えない表情が浮かんだ。
が、熊耳の言葉の意味がイマイチよく分かっていない野明に、男性の今の心境を理解出来る訳もなく、再び野明は事実の追求を始めた。
「それに、さっきの『責任とって結婚』ってどういうことっ!?」
「は〜いはい、それまで」
ずっと傍観を決め込んでいた後藤だったが、これ以上続けるとドツボにはまりそうな遊馬と野明の夫婦漫才と、トラウマに更に塩を塗りこむような熊耳の強烈な攻撃に終止符を打つべく、ポンポンと手を打ち、立ち上がった。
その後藤の行動により、2人の愁嘆場と熊耳の核爆弾投下に呆然としていた太田たちが、何とか立ち直った。
そして、後藤の行動をみんな固唾を飲んで見つめる。
「ま、俺たちが居たら込み入った話も出来ないだろうから……」
『もうすでに、十分過ぎるほど込み入った話だったのでは……』
みな、心で後藤にツッコミを入れたものの、敢えてそのセリフを口に出来るほど、気力の残っているものは1人も居なかった。
「2人きりにさせてやろうよ」
はいはい、とみんなを座敷から追い立て、がっしりと遊馬の肩に腕を回し、壁際に引きずっていく。
「で、篠原」
「は、はい」
「ま、いきなりプロポーズってのも何だから、『お付き合い』って言うのから始めたほうがいいんじゃないの?」
「は、はあ、そうですね……」
後藤のもっともな言葉に、遊馬が頷く。
「じゃあ、そういうことで」
後藤は手をひらひらと振って、座敷から出て行ってしまった。
そして、誰もいなくなった座敷には、遊馬と野明の2人が残された。
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