幸せのおすそわけ 6





 なぁ、野明。

 俺は本当にお前をこうして抱きしめたかったんだ……。






 ふと、いつもは感じられない感触を腕に感じて、遊馬はゆっくりと目を開けた。
 
 カーテンの隙間から差し込む光は、細く柔らかい光の矢となって遊馬の視界を照らしていた。 
 
「……痛ぇ……」

 頭が痛い。
 それに何だか胃の調子も悪いような気がする。

 風邪でもひいただろうか。

 未だ覚醒しない頭でぼんやりと考える。

 そして、いつもは感じられない感触の腕に視線を移すと



 そこには何故か野明の顔があった。



 自分の腕枕でぐっすりと眠っている野明の顔をまじまじと見つめる。
 そしてそのまま野明の顔を凝視したまま考える。



 また、いつもの夢を見ているのか……。



 遊馬は完全に寝ぼけていた。

 カーテンの隙間からこぼれる、冬の朝日に照らされた野明の髪が金色に輝いて。



 いつもとは違うシチュエーション。



 いつもの夢なら、篠原の工場内の敷地の芝生の上で転がっているはずなのに。
 それに、自分の腕枕で野明が眠っていたなんてことは今までに一度もなかった。

 ぐっすりと眠り込んだ野明の、薄く開かれた淡い桜色の口びるから小さな寝息がもれている。

 遊馬の心臓がトクンと跳ねた。

 隠しとうそうと決めたはずの感情が、心の底でざわざわとざわめきだす。

 

 これは夢。
 
 自分のやましい心が見せた夢。


 
(でも、夢の中だけなら……)


 
 そっと野明の頬に触れてみる。

 白く柔らかい頬。
 グリフォンとの戦いでついてしまった右頬の傷が、うっすらと紅く浮かび上がっている。
 普段はほとんどわからないが、光や体温の加減で浮かび上がる。
 その傷が妙になまめかしく見えた。

『魔性の女にでもなるか♪』

 笑いながら言った野明の言葉が思い出された。

 

 野明を起こさないように、そっと抱きしめてみる。 
 
 野明の身体は見た目通りに小さく、遊馬の腕の中にすっぽりと収まってしまった。



(こんな夢なら毎晩でもいいな……)




 のんきなことを考える。



(ああ、そうだ。 俺はずっとこうしたかったんだ。 野明をこうして抱きしめたかった)



 体温を、かたちを確かめるように野明の身体を抱きしめる。



「ん……苦しい……」

 腕の中で、野明が苦しそうにもがいた。
 どうやら、腕に力を入れすぎたらしい。

 息苦しさで、野明の意識が浮上する。
 ふっ、と野明の瞳か開き、遊馬と目が合った。
 寝ぼけた頭のまま、しばらく遊馬の顔を凝視して。

 だんだんと、少しづつ野明の目の焦点が合ってくる。

 そして、完全に覚醒し、目を見開いた瞬間



「……あ〜〜〜っっっ!!!」

 野明が悲鳴を上げて飛び起きた。

「おわっ!」

 野明の悲鳴に驚いた遊馬が、今度は飛び起きた。

 お互い驚愕の表情を浮かべたまま、しばし固まる。



(ゆ、夢じゃない!? でも、何で野明がベッドに!? ……そうだ、昨夜野明が家に来て、しこたま2人で呑んで……)

 一瞬のうちに、昨夜の記憶が甦る。

(……で? それからどうしたっけ?)

 頭痛のする頭を抱えて、遊馬は考えた。

 ……それからの記憶が全くない。



(……嘘だろ!?)

 

「あ、あたし、何で遊馬と……」

 頭を抱えたままの遊馬を見つめたまま、固まっていた野明も記憶をたどっていた。 

(……そういえば、遊馬が寝ちゃって、その後ベッドにもぐり込んで……)

 必死に記憶をたどっていた野明がふと遊馬を見ると、頭を抱えていたはずの遊馬が、自分を凝視していることに気が付いた。

 しかし、視線の先は顔ではなく、下の方。

「……」

 嫌な予感がした野明が、無言のまま視線を落とす。
 
 嫌な予感は的中していた。
 遊馬の視線の先には、ワイシャツがはだけて胸から下腹部まで丸見えの身体。

 おまけにブラもしていない。

「……いや〜〜〜っっっ!!!」


 見る見る間に野明の顔に朱が上る。
 その瞬間、野明は反射的に枕を掴んで、フルパワーで遊馬目掛けて投げつけていた。

「痛っ!」

 枕は悲鳴と同時に見事に遊馬の顔面に命中した。

「見ないでよっ、バカっ! 後ろ向いててよっ!」

 枕の顔面直撃の衝撃と、野明の泣き声にも近い抗議の声で、我に返った遊馬があわてて野明に背を向ける。

 ごそごそと後ろで音がする。

(……この状態から察するに……俺、もしかして野明と……)

 頭痛も忘れるくらいの衝撃。
 自分の顔からすごい勢いで血の気が引くのを感じる。

(……思い出せない……)

 何度記憶をたどっても、いくら思い出そうとしても思い出せない。

(……ここはやはり……)

 二日酔いのせいか、緊張のせいか。
 渇いてからからの喉を鳴らし、唾を飲み込む。

 もう、こんな緊張状態は耐えられない。

(……野明に聞くしかない……)  



 遊馬は覚悟を決めた。

 

「……あの……野明……」 

 野明に背中を向けたまま、意を決した遊馬が口を開いた。

「……俺、昨夜……もしかして……」

 こんなに緊張したのは、柘植の事件の時以来かもしれない。
 今にも銃弾が飛んできそうな張り詰めた雰囲気であった。
 もっとも、こんなシーンを太田が目撃したなら、間違いなく遊馬に発砲していただろうが。
 
「……あたし、帰るっ!」

「あ!?」

 張り詰めた空気を切り裂くように、野明が叫んだ。
 声と同時に遊馬が振り向くと、着替えを済ませた野明が玄関にものすごいスピードで走っていく。

「お、おい野明っ! ちょっと待っ……!」

 遊馬の静止の声も振り切って、玄関から飛び出していった。
 バタン、とドアが閉まる音が重々しく静かな部屋の中に響いた。

 野明の背中に声をかけることも出来なかった遊馬は、へなへなと床に座り込んだ。

 また頭痛が遊馬を襲ってきた。
 だが、明らかに二日酔いによる頭痛ではなかった。

(やばい……俺、何てことを……おまけに……憶えてないなんて……)

 そのまま本当に頭を抱えながら、遊馬は何かを考えていた。

 そして、立ち上がった。
 右の拳を握り締めて。

(いくら憶えていないとは言え、過ちは過ちだ! 潔く責任をとって野明と結婚しよう!)

 遊馬は決意に満ちた顔で、うんうんと頷いた。

 

 もう完全に頭に血がのぼっていた。





 遊馬の部屋を飛び出した野明は、寝癖のついた髪の毛もそのままに、冬の澄んだ空気が清々しい街の中を走っていた。

 顔から火が出るとは正にこのこと。

 恥かしさで叫び出しそうになりながら、野明は走り続けた。



illustration/AT-AGE様



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