幸せのおすそわけ 5
ねぇ、遊馬。
あたし、今の関係を壊すのが恐かったんだ……。
遊馬は、部屋のソファで横になったまま、ぼんやりと天井を見つめていた。
テレビではバラエティ番組が放送されていたが、その音さえも遊馬の耳には届いていない。
ぼんやりと天井を見ながら考えていたのは
野明のこと。
遊馬は本庁に戻ってからというもの、ほとんど毎日の様に夢を見ていた。
夢は、いつも同じ。
篠原八王子工場での夢。
窓もない殺風景な工場内部とは違って、工場の建物の周囲は緑が溢れていた。
昼休みや休憩時間なると、天気のいい日などには従業員が思い思いに、芝生に横になって身体を休めたりしていた。
遊馬と野明もそうだった。
野明と2人で芝生に寝転び、のんびり身体を休めていた。
つなぎを上半身だけ脱いで、横になってぼんやりと空を眺めたりしていた。
その時は大して意識はしていなかったのだが、野明はノースリーブなどで遊馬の隣りに転がっていた。
遊馬はその時の夢をよく見ていた。
夢の中でも、野明は以前と同じようにノースリーブを着て、遊馬の隣りで横になっている。
今までの遊馬なら、そんな夢を見ても何も思わなかっただろう。
しかし、本庁へ戻る話をした時の野明の笑顔。
そして、最後の日の野明の涙。
その時に遊馬は気付いてしまったのだ。
自分の中で、野明はパートナー以上の存在だったということに。
野明への気持ちを自覚してしまった遊馬にとって、そんな夢は拷問にも近いことだった。
さすがの遊馬も精神的に辛かった。
食堂で、本庁に戻る話をした時の野明の笑顔。
感情を押し殺した笑顔だったことに、遊馬は気が付いていた。
気が付いていたのに。
そのまま、野明を拒絶してしまった。
あの時、野明は何かを言いた気だった。
なのに、野明に背を向けた。
本当は止めて欲しかった。
野明が、自分の感情とは正反対の行動をとったことがショックだった。
野明の本心からの言葉ではないとわかっていた。
だが遊馬は拒絶し、野明と話す機会を逃したままあの日を迎えてしまった。
だから、今日の呑み会にも行くつもりだった。
会って、野明と話をしたかった。
本当はあんな態度をとるつもりはなかったと。
会いたかった。
でも、会えなかった。
あんな態度をとって野明を拒絶しておきながら、何もなかったように野明と接し、顔を合わせることなど出来るはずがなかった。
あまりにも虫がよすぎる。
幼い頃、父親一馬にされたように、野明を拒絶してしまった。
差し出そうとした手を払ってしまった。
特車二課に配属されてからずっと一緒だった。
本庁に転出になった時も、篠原に出向になった時も、顔には出さなかったが野明と一緒で嬉しかった。
自分のことを一番わかってくれている人間だったから。
なのに、拒絶し、あの頃の自分と同じように1人にしてしまった。
1人が辛いのは、自分がよくわかっているのに。
野明は強い。
それは遊馬がよくわかっている。
どんな困難なことも、持ち前の根性で乗り越えてきた。
しかし、今まで自分と一緒に歩いてきた人間が、急にいなくなってしまったら。
どんなに強い人間でも、きっと挫けてしまう。
野明そんな思いをさせてしまったのは、他の誰でもなく、自分。
だから、会えなかった。
そして、結局呑み会の直前に進士に電話を入れ、断った。
ずっと一緒だったのに……。
すると、いきなり部屋のインターフォンが鳴った。
遊馬は急に現実に引き戻された。
思わず時計を見ると、時間は10時になろうとしている。
「誰だ、こんな時間に……」
のろのろと起き上がり、どたどたを足音を立て玄関に向かう。
そしてドアを開けると、そこには
真っ赤な顔をして、両手に大きな買い物袋を持った野明が仁王立ちをしていた。
「え!? あ、と……」
突然の出来事に、遊馬は戸惑ってしまった。
もう、会えないと思っていた野明が目の前にいる。
が、後ろめたさから目を逸らしてしまった瞬間、頬にすさまじい衝撃と痛みを感じた。
殴られたとすぐにわかった。
思わず、唸り声を上げてその場にしゃがみ込む。
「痛ってぇな! いきなり何す……」
いきなり殴られたため、怒りで頭に血が上る。
その勢いで怒鳴ろうとした遊馬は、野明を見た途端、思考が停止した。
野明の瞳から大きな涙がこぼれ落ちていた。
泣き声を出さないように、歯を食いしばっている。
「何で、来てくれなかったの!? あたしずっと待ってたのに!」
「え? 待ってたって……」
予想外の野明の言葉に、頬の痛みも忘れて遊馬はゆっくり立ち上がった。
「謝りたかったのに……遊馬に会ってキチンと謝りたかったのに……。 何で来てくれなかったの!?」
ひくっ、としゃくり上げ、野明は大声で泣き出した。
まるで子供のように泣きじゃくる野明に遊馬は困惑したしまった。
今までの付き合いで、こんな泣き方をする野明を見るのは初めてだった。
いつも、泣く時は悔し泣きだったから。
気が付くと、ドアの開いたままの玄関から冬の冷気が流れ込んできていて、室温がかなり下がっている。
「……とりあえず部屋に入れよ。 このままじゃ風邪ひいちまうぞ」
目をこすりながら、野明は遊馬の言葉に頷いた。
「まぁ、座れよ」
野明にソファを進め、遊馬はカーペットに腰を下ろした。
すると、手に持っていた買い物袋を無言で差し出してきたので、遊馬も思わず無言で買い物袋を受け取った。
が、やけに重い。
何気なく覗き込み、遊馬は一瞬目を見開いた。
「おい、何だこれ! 酒ばっかりじゃないか! お前、今日呑み会だったんだろ? 呑まなかったのか?」
「だって全然飲み足りないもん」
しれっと言ってのけ、野明はコートを脱ぎソファから降りて、買い物袋の袋の前にドンと座り込んだ。
遊馬の目の前に。
買い物袋をがさがさとあさり、日本酒の瓶を取り出すと早速蓋を開け、そのままラッパ呑みを始めた。
半分ほど呑んだところで、ぷは〜っと息をつく。
遊馬の顔が引きつった。
そう、野明がこういう呑み方をする時は危ないということを遊馬は誰よりも知っているのだ。
「……遊馬」
「ハ、ハイ」
声が上ずる。
「今日は呑みながらじっくり話ししようよ」
ついさっきまで泣いていたせいか、うっすらと充血した目で遊馬を見た。
「……」
遊馬はがっくりと肩を落とし、大きく溜め息をついた。
野明はここからが長いのだ。
翌日の二日酔いを覚悟し、遊馬は袋からビールを取り出し、プルタブに指をかけた。
「……悪かったな。 呑み会に行かなくて」
しばしの沈黙の後、遊馬が先に口を開いた。
「……ううん、あたしこそごめん。 押しかけたりして。 あたし、遊馬に謝りたかったんだ」
日本酒2本をあっと言う間に空にし、野明は酎ハイに口を付けていた。
「謝る? 何を」
2本目のビールに口を付けながら、遊馬が問い掛けた。
「……遊馬が、本庁に戻るって話してくれた時……あたし、遊馬に嘘付いた……」
「嘘?」
ビールの缶を口から離す。
酎ハイの缶を両手で包み込むように持ちながら、野明がぼそり、ぼそりと話はじめた。
「……遊馬の出世のことなんて、どうでもよかったのホントは……。 出向して、第二小隊のみんなとも、アルフォンスとも離れて……。 自分が何処にいたらいいのかもわからくなって……」
ぽたん、と野明の手に涙が落ちた。
「毎日不安で……でも、遊馬がいてくれたお陰で頑張ってこられたのに……」
野明の声が詰まって、堰を切ったように涙がぽたぽたと手に落ちていく。
「……遊馬がいなくなるって聞いて……どうしていいのかわからなくなっちゃって……。 あんなこと言っちゃった……」
遊馬がテーブルの上のティッシュを差し出すと、野明は大きな音を立てて盛大に鼻をかんだ。
「……ごめんね」
「……俺こそごめん」
「……え? 何で遊馬が謝るの?」
きょとんと野明が遊馬を見る。
「俺もあんな態度とるつもりじゃなかったたんだ。 ……あの時、俺があんな態度を取らなけりゃ、お前がそんなに悩むこともなかったよな」
途端に野明が首を横に振った。
「ううん、遊馬が悪いんじゃないよ。 あたしが……」
「いや、俺が……」
顔を見合わせ、少しだけ見つめ合って、思わずくすくすと笑ってしまった。
「……お互い素直じゃないな」
「そうだね……」
お互いの思いを分かり合って、久しぶりに安堵し、心から笑った。
「みんな、元気だったか?」
「うん、あのねぇ……」
以前と同じように笑って話が出来る。
遊馬も野明もそれだけでいいと思った。
野明は、遊馬が隣りにいないと何故か不安になる不思議な気持ちを、遊馬は、野明の涙を見たあの時に気づいた自分の気持ちを、心の底にしまい込もうと決めた。
この関係が、均衡が崩れてしまったら、きっともう元には戻れないから。
野明の買ってきた酒をほとんど呑み尽くし、遊馬はもう失神寸前だった。
さすがの野明も限界が近いのか、呂律が廻らなくなっている。
もう、時刻は午前4時を廻っていた。
「……も、ダメ……限界……」
遊馬が這うようにして寝室に向かう。
やっとのことでベッドにたどり着き、ジーンズを悪戦苦闘して脱ぎ捨てベッドに倒れ込んだ。
「……遊馬、らにやってるの?」
真っ青な顔をして、ベッドに潜り込んだ遊馬に、野明がリビングから問う。
「……寝る」
「らに言ってんだよ〜! 寝るな〜!」
今にも倒れそうな足取りで、ふらふらとベッドに近付き遊馬を揺さぶる。
「操縦者と指揮担当は一心同体らんでしょ〜!? あらしが起きてるんらから遊馬も起きてらきゃダメ〜っ!」
「そう、だからお前ももう寝ろ」
2人とも言っていることがめちゃくちゃである。
「操縦者は指揮担当の指示に従うべし……おやすみ……」
言い終わらないうちに、遊馬の呼吸が寝息に変わる。
あっと言う間に眠ってしまった遊馬をしばらくぼんやりと見つめた後、ぺたりと床に座り込んだ野明がぼそぼそと何かを呟いた。
「……操縦者は指揮担当の指示に従うべし……了解……」
ゆっくりとだるそうに立ち上がり、何をするのかと思えば、野明はいきなり服を脱ぎ始めた。
床にそのまま脱ぎ捨て、半分閉じている目で、自分の胸元をじっと見つめた。
「……苦しい……邪魔……」
面倒臭そうにブラを外し、ショーツ一枚のまま部屋を見回し、何かを探している。
そして、何かを見つけたらしく視線を止めて、ニヤリと笑った。
「……見つけた……パジャマ……」
ハンガーにかかっていた、遊馬のワイシャツを手に取り、袖を通す。
しかし、酒が廻っているせいでボタンが上手く留められない。
「……風邪をひいちゃ大変らから、ちゃんとパジャマを着て寝なきゃいけません、はい……」
もう完全に酔っ払いだった。
「……もういい……面倒くさい……へへ……」
再び怪しく笑い、ワイシャツの胸元を大きく開けたまま、遊馬の眠っているベッドに野明は潜り込む。
遊馬の背中にぴったりとしがみつくと、身体の力が抜けて、睡魔が襲ってきた。
「……操縦者と指揮担当は一心同体……」
くすりと笑い、野明もあっと言う間に眠りに落ちた。