幸せのおすそわけ 4
なぁ、野明。
俺、お前に会うのが怖かったんだ。
だから、会いに行けなかっんだ……。
襖の前に立ち、野明はすうっと一つ深呼吸をした。
座敷の中の声が、襖越しに微かに聞こえる。
遊馬にキチンと謝ろう。
野明は意を決し、襖を静かに開けた。
「……こんばんは〜。 遅くなりました〜」
「あ、泉さんこんばんは〜」
進士とひろみが小さく頭を下げた。
「おう」
太田が相変わらず偉そうに挨拶をする。
「こんばんは。 元気そうね」
熊耳が黒目がちの目を細めて微笑んだ。
慣れ親しんだ顔。
懐かしい空気。
「すいません、遅れちゃって」
熊耳の隣りに腰を下ろした瞬間、緊張がふっと緩み野明は少しだけ泣きそうになった。
目の奥が熱い。
みんなに悟られないように、ハンドバックを卓の下に押し込みながら、目をこすった。
「……ったく、たるんどる。 社会人たるもの約束の時間は守るのが……」
「まあまあ太田さん。 せっかくの呑み会なんですから……」
進士が少し困った顔で太田をなだめる。
「さあ、みんな揃ったことだし始めましょうか」
「そうですね」
熊耳の言葉を合図に、進士とひろみがビール瓶の栓を抜き、みんなに注いで回り始めた。
こういう時、気が回るのは進士とひろみである。
遊馬が来ていない。
来るのが遅れているのか、それとも……。
「泉さん、どうぞ」
ひろみの声にふっと我に返る。
視線を上げると、ひろみが野明の横でビール瓶を持って座っていた。
「あ、ありがと」
反射的に目の前にあったグラスを手に取る。
グラスを差し出すと、ひろみは以前と変わらない笑顔でビールを注いでくれた。
「……ひろみちゃん」
「はい?」
野明が小声で声をかけると、何か察したのか、ひろみも小声で返事をした。
「あの……え〜と、遊馬は? 遅れてくるの?」
「あ、いえ。 今日は遊馬さんは来られないそうです。 さっき進士さんに連絡があったそうで……急用が出来たと言っていたそうです」
「え……あ、そう、なんだ……」
今の今まで、ぎりぎりまで張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れてしまったようだった。
謝りたかったのに。
遊馬が来ないなんて。
「え〜、それでは」
進士がグラスを上げ音頭をとる。
「カンパ〜イ!」
みんなでグラスをぶつけ合い、一気にビールを飲み干す。
「さあ〜鍋だ鍋だ!」
太田がいの一番に箸を伸ばした。
「やっぱり冬は鍋ですよね〜」
眼鏡を曇らせながら、進士もとんすいに具をよそっている。
「泉さん、取りましょうか?」
「あ、ありがと」
ひろみに鍋の具をよそってもらいながら、野明はグラスのビールを一気に飲み干した。
そして、プハ〜ッと息をつくと、自らビールを注ぎ再び一気に飲み干した。
「い、泉さん。 今日もいい呑みっぷりですね」
進士が引きつり笑いをした。
あの小さな身体のどこにそんなに酒が入るのか。
野明の酒の強さは特車二課の中でもずば抜けていた。
まだ特車二課に配属されていた頃、整備班員数名と呑み会を行なった時にも、その酒豪ぶりを発揮し、次々と整備班員を酔い潰して、最終的には野明1人で、日本酒の一升瓶を抱えて手酌で飲みつづけていたと言う恐ろしい伝説を残していた。
つまり、野明がペースを上げると、とんでもないと言うことをみんなよく知っているのである。
中でも、特車二課のメンバーはそれを何度も目にしているので、その恐怖は半端ではない。
「し、進士さん。 やっぱり遊馬さんと何かあったみたいですね……」
ひろみが進士に小さく耳打ちする。
が、進士は野明の呑み方を見てすでに青ざめていた。
そうしている間にも、野明は中瓶のビールを1本空け、熱燗を湯呑み茶碗に注いで飲むまでレベルアップしている。
そんな野明の様子を、熊耳は隣りで静観していた。
日本酒を流し込みながら、野明は自分の中で訳のわからないイライラが段々と大きくなっていくのを感じていた。
自分でもよくわからない感情。
何故、遊馬がいないだけでこんなにイライラするのか。
遊馬が来ないとわかってほっとしたのは事実だった。
でも、来ないとわかって落胆したのも事実。
謝りたかったのに。
急用で来られない?
今まで、どんなことがあってもこの呑み会には参加していたのに。
忙しい時間をさいて、せっかくみんなが集まるのに。
そんな呑み会に来られないくらいの用って何……?
そんなことを考えながら、黙々と酒を飲み干していく野明に、誰も声を掛けることが出来なかった。
呑み会がお開きになり、店の外に出るとちらちらと粉雪が舞っていた。
「泉ぃ! 次の店に行くぞ〜っ!」
道の少し先で、太田が真っ赤な顔をして野明を呼んでいる。
「泉さん、大丈夫ですか?」
立ち止まったままの野明に、ひろみが心配そうに声をかけた。
「……ちょっと呑み過ぎちゃったみたい……」
へへ、と苦笑いを浮かべて、俯いていた野明が力なく笑った。
遊馬に会いたい。
ただ会いたい。
遊馬に会えば、このイライラの原因がわかるかもしれない。
「今日はもう帰ろうかな……」
その場から動かない野明に痺れを切らした太田が、野明の所まで大股で歩いてきた。
かなり酔っているのだろう。
普段から暑苦しい顔が、真っ赤になってさらに暑苦しい。
「何ぃっ!? まだ全然呑み足りないぞぅっ!」
野明の呟きに、太田が大声を上げる。
「帰る」
きっぱりと言い切った野明を、太田はそれ以上誘うことはしなかった。
「……わかりました。 気を付けて帰って下さいね」
進士が穏やかに言った。
進士はきっと、野明の考えていることがわかっているのだろう。
それ以上何も言わなかった。
ひろみも。
そして熊耳も。
「……うん。 進士さんも気を付けてね。 ひろみちゃんも熊耳さんも……太田さんも」
野明はそこでみんなと別れた。
太田が進士の首を締めるようにして引きずっていく。
野明はみんなの後姿を見送り、みんなとは反対方向に向かって歩き出した。
「よ〜し! 次の店行くぞ〜っ!」
「お、太田さん……苦しい……です……」
進士がうめき声を上げているのも気にせずに、太田は進士を引きずりながら進んでいく。
「山崎くん」
「はい?」
「篠原くんと泉さんは何かあったの?」
様子のおかしかった野明を静観していた熊耳が、静かに問い掛けた。
しかし、その口調には熊耳らしくためらいなどは感じられない。
「は、はい。 僕も進士さんも詳しいことはわからないんですが……」
ひろみは、進士に聞いていた本庁での遊馬の様子と、喫茶店での野明との電話での会話のことを熊耳に離した。
「今日の呑み会で、遊馬さんと泉さんの様子を見ようって進士さんと話していたんですが……。 今日の泉さんの呑み方が尋常じゃなかったので、やっぱり何かあったのではないかと……」
「なるほどね……」
「……僕達、どうしたらいいんでしょう……」
少し時間をおいて熊耳が口を開いた。
「何もすることはないわ」
「え!?」
ひろみが聞き返した。
「自分達で何とかするでしょう。 もし出来なくなったら相談でもしてくるでしょうから、その時私達が相談にのってあげればいい。 今は何もする必要はないと思うわ」
「……そう、ですね……」
熊耳のきっぱりとした、でも愛情にこもった言葉に、ひろみが肩を落とした。
ひろみの猫背がさらに猫背になる。
ひろみもわかっているのだ。
周りが何を言っても、何をしてもどうしようもないのだと。
あの2人が自分達で動くしかないのだと。
後ろを見ることもなく突き進んでいく太田と、失神寸前の進士の背中を見ながら熊耳はふうっと大きく息を吐き出した。
『あの2人、やっと自分の気持ちに気が付いたのね……長かったこと……』
熊耳は、特車二課で出会った頃の遊馬と野明を思い出していた。
まるで、幼い兄妹か、男友達のようだった2人。
いつも一緒で。
でも、お互いに異性だなんて自覚もなくて。
見ている方が心配になるくらいだった。
そんな2人が、お互いに意識をして。
自覚をして。
この状態を抜け出した時、きっと劇的に変化する2人に関係。
どんな風に変化するのだろう。
「熊耳さん?」
ぼんやりしているように見えたのだろう。
ひろみが顔を覗き込んでいた。
「……大丈夫よ」
野明はみんなと別れた後、遊馬の部屋に向かっていた。
謝るつもりでいたはずなのに、そんなことはすっかり忘却の彼方だった。
ただ、遊馬に会いたい。
その気持ちだけだった。
遊馬の家のそばまで来た時、ふと思い立ち野明はコンビニに寄り道をした。
そして、ありとあらゆる酒をカゴに放り込んだ。
ビール、日本酒、ワイン、酎ハイ。
もちろん、つまみの珍味とスナック菓子も。
勢いよくレジに置くと、レジの若い男性店員が一瞬ぎょっした表情を浮かべたが、すぐに営業用スマイルに戻り、手際よく商品のバーコードをスキャンし始めた。
会計の済んだ、袋一杯の荷物を両手に、野明は遊馬を襲撃するべく、歩行速度を上げ遊馬の部屋を目指した。
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