幸せのおすそわけ 2





 なあ、野明。

 お前の涙を見た時、俺はようやく自分の気持ちに気が付いたんだ……。






 食堂での一件以来、2人は急によそよそしくなり、ほとんど仕事の話しかしなくなっていた。
 昼食はもちろん、帰宅さえ別々になった。

 だが、仕事はそうはいかない。
 私語もほとんどないまま、2人は今までと同じように仕事をこなしていた。

 食堂での一件は瞬く間に工場中に広まり、噂が噂を呼んでいた。
 出向当時から、違う目で見られていた2人である。
 噂にならない訳がなかった。

 2人の今の状態をほくそえんでいる者。
 この機会に告白をしようと企てる者。

 様々な噂や思惑が交差していく。

 2人のわだかまりも解けないまま、遊馬が本庁へ戻る日が翌日に迫っていた。

 終業間近、開発部のメンバーに引き継ぎをしていく遊馬を、野明は開発部のオフィスの自分のデスクの椅子に座ったまま、肘をついて
 ぼんやりと眺めていた。

 そして、野明は遊馬と2人で後藤に呼び出された時のことを思い出していた。
  

   
 野明と遊馬が、本庁に転出になると後藤に通達を受けた時、野明はアルフォンスと一緒にいられなくなることがショックだった。

 もちろん、アルフォンスのことだけではなかった。

 大事な仲間。
 肌に、身体に馴染んでいた特車二課棟の空気。
 嗅ぎなれた塩の香り。

 離れなければならない。

 そしてアルフォンス―98式AVが2式に機種変換され、イングラムは八王子工場に送り返され、データ収集用の実験機に活用されるという事実。

 野明は最初で最後のアルフォンスの操縦者となる。

 それでも、野明が落胆したのは言うまでもないことだった。
 
 そんな野明を慰め、見守ってきたのは遊馬。
 遊馬のぶっきらぼうな慰めのおかげで、野明はどれだけ救われたかわからない。

 非番の日に野明を寮から連れ出し、食事をおごってくれたこともあった。
 第二小隊御用達の屋台で、酒をおごってくれたこともあった。
 いつの間にかヤケ酒のようになり、ろれつの回らなくなった野明の愚痴を、からかうでもなく、たしなめるでもなく、ただ黙って聞いてくれた。
 しかし、実家で散々鍛えられた野明と違って、遊馬はあまり酒に強くはない。
 野明に付き合ってしこたま酒を飲まされたせいで、翌日遊馬は二日酔いと言うことも日常茶飯事であった。
 もちろん野明はけろっとしていたが。

 だが、アルフォンスに搭乗出来なくなる自分より、本当は遊馬の方が辛かったに違いない、とオフィスのデスクの荷物を整理しながら野明は思った。

 本庁に異動になった直後、待っていたのは篠原八王子工場への出向。
 篠原が嫌で、家を飛び出したはずなのに、何故篠原に出向しなければならないのか。
 父親である一馬が裏で手を回したのかもしれないと、遊馬は考えたこともあった。
 しかし、いくら警察に顔が利くとは言え、そんなことが無理であることは遊馬が一番よくわかっていた。
 
 出向に異議があれのであれば、退官するしかない。

 それをしなかったのは、遊馬から一馬への頑固たる意思表示。

 また逃げたと思われたくなかったから。
 それに、自分に嘘をつきたくなかったから。
 
 レイバーが好きな自分に嘘はつきたくなかった。

 そして、遊馬は辞令を拝命し篠原へと出向になった。

 遊馬は、工場に出向してからしばらくの間、やはり好奇の目で見られていた。
 
 何故、篠原の御曹司である遊馬が、本社ではなく工場にいるのか。
 それも就職ではなく、警察からの出向で。
 あからさまな視線に、さすがの野明も不安を隠しきれなかった。

 そんな野明を見て、遊馬は笑った。

「大丈夫だ。 心配するな」

 野明の髪をぐしゃぐしゃと撫でながら。

 自分に心配をかけないように、一生懸命笑ってくれていた遊馬。

 

 その遊馬がいなくなる……。



 野明の心の奥底にしまい込んでいた不安が、少しずつ少しずつ浮上してくる。
 まるで、水底から水面に浮上してくる空気のように。

 そして、野明がふっと意識を現実に戻すと、目の前の遊馬がいた。

 こんなにそばで遊馬の顔を見たのは久しぶりだった。

「……よう」

 以前と変わらない挨拶。
 
 でも、感情が読めない表情。

 野明はゆっくりと立ち上がって、遊馬の顔を見つめた。

「色々世話になったな……。 明日から俺は本庁だけど、頑張って……」

 遊馬が言葉を止めた。

 
 
 野明の瞳から、大きな涙が零れ落ちていた。
 
 泣いていることに気が付いていなかった野明が、びっくりしたように目を見開いた。
  
 が、その涙を拭いもせず、無言のまま遊馬を見つめた。

 そんな野明を見た遊馬の顔が一瞬、苦しげに歪んで見えたのは、涙のせいだったのだろうか。





 それから1ヶ月、野明の家の電話にも携帯電話にも、遊馬からの連絡はない。


瞬きもせず、夜空を見上げていた野明は、いつの間にかこめかみを伝っていた涙もそのままに、マウンテンバイクにまたがると、まっすぐに家路へと急いだ



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