故郷 4



 台所からいい香りが居間に漂ってきている。  
 根が働き者なのであろう野明の母親は帰ってくるなり台所に立ち、夕食の準備を始め、野明も手伝って台所に立った。
 こうやって小さい頃から野明は母親の手伝いをしていたのだろう。
 2人で手際よく料理を作っていた。
 その間遊馬は野明の父親に勧められるまま、日本酒に舌鼓を打っていた。
 言葉少なく杯を傾けていた野明の父親が、グラスを見つめながらぼそりと呟く様に言った。 

「野明は……」

「はい?」

「野明は何で泣いたんだ?」

 野明の充血した瞳を見て、野明の父親が不信に思ったらしい。
 無理もない話である。
 家に帰ってきたら、泣きはらした真っ赤な瞳の娘が出迎えたのだ。
 彼氏と2人で留守番をしている間にケンカでもしたのかもしれないと、野明の父親は思ったのかもしれない。

「え、あ〜……」

 実家の話をしたら野明が泣いてしまったとも言えず、遊馬は口ごもった。
 そんな遊馬の様子を見ていた野明の父親は、遊馬を責めるでもなく、グラスの日本酒をあおった。

「まあ、ケンカした訳じゃなさそうだからいいんだけどな」

「は、はあ……」

 遊馬の曖昧な返事を気にすることもなく、野明の父親は言葉を続けた。

「あれは誰に似たんだか、男勝りできかないし、ちっとも女らしくないが……」

 野明の父親が押し黙り、遊馬がグラスから顔を上げると、野明の父親も顔を上げた。
 
「それでも、可愛い一人娘には変わりない……」

 一人娘の野明が可愛くて仕方がないのが遊馬も手に取る様にわかった。
 何故なら、普段あまり笑うことのない野明の父親が笑ったからだ。

 嬉しそうに、そして淋しそうに。

 何となくしんみりとしてしまった空気の中、野明の父親と遊馬はほとんど無言でグラスを空け、日本酒を注いだ。

 遊馬は今までに、何度か野明の実家を訪れている。
 そしてその度に考えたことがあった。

 それは、『家族の形』というもの。

 遊馬は物心がついた時から、家族揃って食事をしたということがなかった。
 食事を用意してくれていたのは、文枝ではく家政婦だった。
 文枝はほとんど寝たきりであったし、一馬の帰りはいつも遅く、遊馬が起きている間に帰宅するこはほとんどなかった。
 一騎も学校の行事や部活などで帰宅が遅いことが多かったため、夕食を遊馬と一緒にとることは稀だった。

野明の家庭は遊馬にとっての『家族の形』そのものだった。
 
 いつも1人で食事を済ませることに慣れてしまっていた遊馬は、野明の実家の食事風景に最初は面食らってしまったのだが。
 
 とにかく、野明の家族の食事風景は賑やかの一言だった。

 夕飯のメニューのことや、野明の母親が好きな花のこと。
 話題には事欠かない。
 ほとんど野明と母親が話して、父親が頷いているのが大半ではあったが、本当に楽しそうに笑いながら食事をする。
 最初のうちはいたたまれない気分になったが今ではだいぶ慣れ、会話に参加出来る様になった。

「はい! お待たせ〜!」

 しんみりとした空気を吹き飛ばす様な、野明の明るい声が居間に響いた。
 野明の両親が、親戚の家から帰ってくるときに買ってきてくれた寿司を夕飯に、晩酌が始まった。
 
「遊馬さん、遠慮しないでたくさん食べなさい」

「はい。 いただきます」

 野明と野明の母親が作ったお吸い物や魚の煮付けなどをおかずに、寿司に箸が伸びる。

「お父ちゃん、お酒ばっかり呑んでないで食べなきゃダメだよ〜!」

「わかっとる」

 

 たわいのない話をしながら、笑って呑んで。

 夜が更けていった。





「忘れ物はないかい?」

 野明の母親が心配そうに野明に問い掛けた。

「うん。 大丈夫」

 両手一杯の荷物を一旦地面におき、野明は笑った。
 そして指差し確認で荷物を数え、野明と遊馬はタクシーのトランクに次々と荷物を積み込んだ。
 ここに来た時は、野明と遊馬のトラベルバックだけだったのに、滞在している間に購入したお土産などで、荷物は倍以上の数になっていた。 
 来た時よりも帰る時の方が荷物が多いのは何故だろう。
 遊馬は小さく笑った。 

「それじゃあお母ちゃん、行くね」

「どうもお世話になりました」

「何もお世話なんてしとらん」

 声に驚いた遊馬が下げていた頭を上げると、いつの間に居間から出てきたのだろう。
 野明の母親の後ろに野明の父親が立っていた。
 先程、野明の母親が声を掛けたとき、新聞を見ながら仏頂面で生返事をしてこちらを見ようとはしなかった。
 そんな父親の様子を見ていた野明と野明の母親は肩を寄せ合い、顔を見合わせてクスクスと笑っていた。
 2人に言わせると、淋しいのだそうだ。
 何処の家の父親もどうやらそういうものらしい。
 遊馬は一馬の仏頂面を思い出して、思わず吹き出してしまったのだった。

 野明の父親はにこりともせず、遊馬の顔を見て言った。

「ここはあんたの家だ。 好きな時に帰って来たらいい」

 野明の父親はそう言い切って、遊馬たちに背を向け店に戻ってしまった。
 父親の背中を黙って見送った野明の母親は、遊馬に視線を戻し優しく微笑んだ。

「お父ちゃんの言う通りだよ。 ここは遊馬さんの家で故郷なんだから。
 いつでも帰っておいで。 遊馬さんは大事なあたしたちの息子だよ」

 一馬も同じことを思っているのだろうか。
 いつも『跡取り』としか言ってもらえなかった自分のことを。
  
 『淋しいから、心配だからそばにいてくれ』
 
 本当はそう言いたかったのだろうか。

 

 野明の両親の暖かな言葉に、遊馬は静かに頭を下げた。



 タクシーの窓から差し込む、夏の刺さる様な陽射しの中で街並みを見つめながら、遊馬は故郷の庭に思い出していた。
 一馬が文枝の代わりに慈しんでいたあの桜は、来年も見事な花を咲かせるのだろう。
 来年、桜の花の咲く頃に実家へ帰ってみようか。
 もちろん野明を連れて。
 一馬はどんな顔をするのだろう。
 きっと仏頂面のまま、また憎まれ口を叩くのだろう。
 野明の両親と笑いながら食事をした様に、一馬とも食事が出来るだろうか。
 あの頃見つけることが出来なかった『家族の形』を見つけられるだろうか。
 遊馬は隣に座る野明の横顔を静かに見つめた。



 野明が一緒なら出来るのかもしれない。



 遊馬の視線に気が付いた野明が、優しく微笑んだ。



「また帰って来ようね」

「ああ」



 帰って来よう。
 帰ろう。
 愛する家族のいる『故郷』へ―



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