たまにはいいよね



 その日は、朝から雨が降っていた。
 
 

 せっかくの2連休なのに。
 
 

 野明はフローリングにぺたんと座り込み、出窓に肘をついて、窓の外を見つめながら小さく溜め息をついた。

 雨は止む事を知らないかの様に、銀色の光を放ちながら、静かにアスファルトを濡らしていた。

 篠原に出向になってから、遊馬は連休などもらえた事はほとんどなかった。
 
 ましてや野明と一緒になど。

 

 雨が降らなければ、遊馬と2人で出掛けられたのに。

 

 そんな野明の憂鬱な気持ちを知ってか知らずか、遊馬はソファでうたた寝をしている。

 

 このまま1日中いるなんてつまらない。

 でも外は雨が降ってる。



「あ」

 野明の小さな声に遊馬の瞳が開いた。

「……どうした?」

 寝ぼけまなこをこすりながら、遊馬がゆるゆると身体を起こす。

「ねぇ遊馬。 ちょっとだけ出掛けない?」

 遊馬の顔を見つめながら、野明が微笑む。

「……出掛けるって、こんな雨の中何処に行くつもりだ? コンビニか?」

 面倒くさそうに答える遊馬に、野明は上目遣いで問い掛ける。

「……ダメ……?」

 そんな野明を見て、遊馬が苦笑いをした。



 そんな顔されたら断れね〜じゃん……。



「何処に行くんだ?」

 遊馬が立ち上がった。





 煙る様に静かに降り注ぐ雨の中、野明と遊馬は傘をさして歩いた。

「で、何処行きたいんだ?」

 遊馬の問いに野明はくすくすと小さく笑った。

「行きたいところはないよ」

「はぁ?」

 遊馬のあきれた表情を見て野明が再び小さく笑う。

「だってさ、せっかくの休日なのに、家でじっとしてるのってつまんないじゃない? だから散歩しようと思ったの」

「散歩って……こんな雨の日に……」

 遊馬の前を、野明は軽い足取りで歩いて行く。

「雨の日はいつもと違う風景が見えるかもよ?」

 ほら、と野明はある一軒の家の庭先を指差した。

 そこには銀色の細い雨の中、紫陽花が静かに鮮やかなピンク色の花びらを広げていた。

「へぇ。 綺麗だな」

「でしょ?」

 いくつもの花が寄り添い、手毬の様に柔らかな丸みを形作っている紫陽花。

「こんなところに紫陽花なんてあったんだな」

「うん。 やっぱり紫陽花は雨の日が一番綺麗に見えるよね」

「そうだな」



 野明と遊馬は2人で近所を散歩した。



 いつも吼える真っ白い大きな犬。

 春には見事な花を咲かせる立派な桜の木。

 長い年月の間、住人を守ってきたのだろう古い家。



 今まで気付かなかった風景を見ながら、2人でのんびりと雨の中を歩いていく。

「たまにはいいな。 雨の散歩も」

 遊馬の言葉に野明が優しく微笑む。

「でしょ?」
 
 と、何かを見つけた野明が走り出した。

「えいっ!」

「うわっ!」

 野明が掛け声と同時に水溜りに着地し、泥水が盛大に水飛沫を上げた。

「お前な〜っ!」

 野明のジーンズはもちろん、遊馬のジーンズも茶色い水玉のまだら模様に早変わりした。

「へへっ」

「こいつめっ!」 

 悪びれた顔で笑う野明を見て、今度は遊馬が走り出した。

「ひゃあっ!」

 野明の時よりも激しく遊馬が水溜りに着地すると、2人の顔まで泥水が跳ね上がった。

「冷たいよっ! 遊馬っ!」

 抗議の声を上げる野明の顔を見て、遊馬が意地の悪い顔で笑った。

「お返しだっ!」

 

 

 息が上がるまで泥水の掛け合いをして、ふと、お互いに顔を見合わせる。

 野明も遊馬も、もうこれ以上汚すのは無理と思われるほど泥だらけだった。

 野明も遊馬も途端に吹き出して笑う。

「遊馬ぁ……顔泥だらけだよぅ……」

 野明がお腹を押さえて笑っている。

「そういうお前だって……すごい顔してるぞ……」

 遊馬も大笑いしたいのを我慢している。

「でもさ……」

「うん?」

「たまにはいいよね。 こういうのも。 子供に戻ったみたいで」

 野明の言葉に、遊馬が穏やかな笑みを浮かべる。

「そうだな。 たまにならな」

 遊馬の顔を見て野明も笑う。

「家に帰ってお風呂に入ろう」

 野明が遊馬の手を取った。

「ん。 帰るか」

 いつの間にか手放してしまった傘をさして、手をつないで2人で家路を歩く。

「遊馬。 お風呂上がりにホットココア飲もうよ」

「お前が作れよ」

「え〜!? 遊馬作ってよ〜!」

 



 いつものたわいもない会話。

 でもいつもより楽しい。




 たまにはこんな日があってもいい。





 次の日、ベランダには2組のTシャツとジーンズ、そしてスニーカーが五月晴れの中、風に揺れていた。