篠原家の1日
うららかな春の陽射しの中、開け放した窓の前で野明がころんと横になっている。
気が付いた遊馬がそっと覗き込むと、遊馬の気配にも気付くことなく、野明は気持ちよさそうにぐっすりと眠り込んでいた。
ふいに春の柔らかい風が吹いてカーテンを揺らす。
揺れるカーテンの影が野明の顔に不思議な模様を作り出している。
『やれやれ……』
そんな野明を見て遊馬は苦笑した。
特車二課にいた頃とは比べ物にならないくらいの穏やかな日常。
こんな日々を望んでいたはずなのに。
望んでいた日常を手に入れたはずなのに。
あの夏休みの様な、騒がしくも賑やかな日々が懐かしく感じるのは何故だろう……。
今、この日常はあの日々の延長にある。
だからこそ、特車二課での日々を懐かしく感じてしまうのだろう。
『これからもこんな穏やかな日々が続きますように……』
願いを込めて遊馬は野明の額にキスを落とした。
すると遊馬の口から大きな欠伸が1つ漏れた。
『……少しだけ……』
遊馬は添い寝をするかの様に、野明の隣に身体を横たえた。
すると間もなく、遊馬の呼吸が寝息に変わった。
野明がふと目を開けると、目の前にぐっすりと眠っている遊馬の顔があった。
『あれ…今日って出掛けるんじゃなかったっけ……』
ぼんやりとした意識の中思い出す。
カーテン越しに差し込んでくる暖かい陽射しが、野明の意識を再び眠りの海に沈めていく。
寝心地が悪かったのだろう。
少し考えた後、野明は遊馬の腕をそっと伸ばし、腕に頭をのせた。
そして野明はそのまま瞳を閉じた。
くしゅん!と小さなくしゃみで遊馬は目を覚ました。
目を開けると琥珀色の夕焼けが目を刺し、遊馬は思わず目を細めた。
微かに湿り気を帯びた冷たい風が、遊馬と野明の身体を通り過ぎていく。
ふと見ると遊馬の腕に頭をのせた野明は、まるで仔猫の様に身体を小さく丸めて眠っている。
『風邪でもひいたら大変だ』
遊馬が野明の身体を揺さぶる。
「おい、野明」
「ん……」
野明の目がゆっくりと開いて、遊馬の顔をぼんやりと見つめた。
「あれ……?」
寝ぼけまなこのまま野明が身体を起こした。
ぼ〜っと遊馬の顔を凝視していた野明の瞳が、だんだんと覚醒し、しっかりと見開かれた。
そして……
「……あ〜っ!!」
突然の野明の大声に、遊馬がびっくりして飛び上がった。
「何だよ、いきなりっ!!」
野明が泣き出しそうな顔をして呟いた。
「だって今日買い物に行こうって言ってたのに……。 寝過ごしちゃった……」
「そんな事言ったってお前が寝ちまうから悪いんだろが!」
「起こしてくれたっていいじゃない!」
「起こした後いつも機嫌が悪いのは誰だ?」
う、と言葉に詰まった野明が小さなくしゃみを一つ。
もう日が落ちかけて、いつの間にか窓から見える空は、夕焼けと夕闇のコントラスト。
遊馬は立ち上がって窓を閉めた。
そして壁の掛時計を見て溜め息をついた野明の頭をぽんぽんと撫でた。
「今日はもう諦めよう。 また休みはあるんだし」
「……うん」
野明が小さな子供みたいに笑うのを見て遊馬も笑った。
「身体冷えちまったな。 ……野明、一緒に風呂入るか?」
「うん!」
「気持ちい〜♪」
湯船に浸かり、幸せそうな声を上げる野明を見て遊馬は微笑んだ。
「買い物はまた今度な」
身体を洗いながら遊馬がそう言うと、野明が無邪気に笑った。
「うん! でもさ……」
「ん?」
「こんな休日もたまにはいいよね」
湯船の縁に腕をのせ、遊馬を見上げる。
「そうだな」
身体の泡を流そうとシャワーを手にした遊馬の顔に、いきなり桃色のお湯が大量に掛けられた。
「ぶはっ!!」
ゲホゲホと咳込む遊馬の顔を見て、湯船の中で足をばたつかせて野明が笑い出した。
「あはは! 遊馬すごい顔〜♪」
「お前な〜!」
今度は遊馬が野明の顔を目掛けてシャワーを掛けた。
「けほっ!……遊馬っ!」
自分が仕掛けたにもかかわらず、野明が避難の声を上げた。
「お返しだっ!」
にやリと遊馬が笑った瞬間、野明が勢いよく湯船から立ち上がった。
「お! やるかっ!?」
遊馬がシャワーを持って身構えた。
「もちろんっ!」
野明が洗面器を湯船に沈める。
そして、狭い風呂場でお湯掛け合戦が始まった。
篠原家の1日はこんな風に過ぎていく……。