桜日記
「わあっ! すごいねぇ……!」
「ほんとにすごいな……」
非番の今日、野明と俺は桜を見るために上野公園を訪れていた。
天気にも恵まれ、空には雲一つ無く、柔らかい春の陽射しが俺達にシャワーの様に降り注いで。
絶好の散歩日和だ。
今日、上野公園に行こうと俺を誘ったのは野明だ。
昨日の終業間際にいきなり誘われたから一瞬何事かと思ってしまった。
ちょっと面倒臭かったけど、断る理由も無かった。
でも、来て良かったかも。
たまにこうやってのんびり散歩するのも気持ちいい。
それに、連日の晴天続きで満開に咲いた桜は、見る者を圧倒した。
咲き誇った桜は、まるで霞の様に視線の先で広がって、空に溶け込んでいる。
見ていると、現実と夢の間を彷徨っている気分になる。
視線を戻すと、軽い足取りで俺の少し先を歩いて行く野明。
まるでスキップをするかの様に。
後姿と桜をぼんやりと見つめる。
急に野明が振り返った。
「遊馬、どしたの? 元気無いよ?」
「え? 元気だぞ? 桜の花に圧倒されてただけ」
「そう……でもほんとにすごいよね〜。桜……」
野明がうっとりと桜を見上げた。
色の濃いのや、薄いの。
花びらの大きいのも、小さいのも色々あるけど。
桜って、いいな。
「ねぇ、遊馬! そこの池の傍にベンチがあるよ! 缶コーヒー買ってあそこで休憩しようよ!」
「そうだな」
「お待たせ〜! はい!」
「サンキュー」
野明が買ってきた缶コーヒーを飲みながら、ベンチで桜を見る。
桜に見入っている野明も俺も、何も話さない。
風が吹いて、桜の花びらがさあっと散った。
音も無く、池に無数の花びらが舞い落ちて、小さな波紋が水面を揺らした。
「あのね……」
「ん?」
野明が口を開いた。
桜から目を離す事無く。
「あたしが二年前、北海道から東京に来た時にね……飛行機が着陸態勢に入って、どんどん地上が近付いて……」
俺は野明の話を黙って聞いていた。
野明の話をゆっくりと聞きながら、缶コーヒーを口元で傾けた。
「飛行機の窓から桜が見えたの。 綺麗なピンク色で、もこもこって丸いのが一杯……まるで綿あめみたいって思ったんだ〜」
俺は思わずコーヒーを噴き出しそうになった。
危ない危ない!
「ちょっとっ! 何笑ってんのっ?」
むっとした野明の顔を見たら……ダメだ……耐えられない!
俺は大声で笑ってしまった。
「ぷ……だってお前……綿あめって……」
「だって、見えたんだもん! ほんとに綿あめみたいなんだから!」
「お前っていつも食い物の事しか頭に無いのな! ……ぶはっ! ……綿あめ……」
「……もういい! 遊馬なんて!」
やばい……怒らせちまった……
頬を膨らませて、そっぽを向いて……変わんねぇな。
こいつのこういうとこ。
ホントにもう二十歳なのかね?
さっき笑ってたと思ったら、こうやってすぐ拗ねたり。
色素の薄い野明の大きな瞳は子猫を連想させる。
くるくると表情を変えて。
「そんなに怒るなよ。 晩飯おごってやるから」
「えっ! ほんと?」
ほら、もう機嫌直ってるし。
今まで怒ってた事、もうすっかり忘れてる。
けろっとして、笑って。
「ほんと」
「わ〜い! ねぇ、何食べに行く?」
怒った時の野明の扱いにもすっかり慣れた俺。
コンビ組んで一年も経てば、性格も大体わかってくる。
……そうか。
こいつとコンビ組んでもう一年も経つのか。
あっと言う間だったな……
「まだ昼過ぎなんだから晩飯のメニューは後でもいいんじゃないか?」
「そういえばそうだね」
「で、さっきの話……桜が綿あめみたいで?」
「あ、そうそう。それでね、一昨年は空の上から桜を見たでしょ? そして、去年は夜桜だった」
「夜桜って……初出動の時か?」
「そう。やっとの思いでアルフォンスの初期設定して……早いねぇ。もう一年経ったんだよ?」
野明がまっすぐ前を向いた。
野明はいつでもそうだ。
力強く、瞳を開いて、まっすぐ前を見ている。
風が吹いて、桜の花びらが野明と俺の髪に肩に舞い落ちた。
雪の様に。
「あたしの原点は桜なの」
「原点?」
「そう、原点。上京して来た時も、初出動の時も、桜が咲いてた」
野明がゆっくりと顔を上げた。
そして空を見つめた。
いや、空じゃない。
きっと野明の瞳に移っているのは、飛行機から見えたもこもこの桜とあの日の夜桜。
「今日は原点に帰るためにここに来たの。……東京の空の上から見た桜と、アルフォンスと一緒に初めて戦ったあの日の夜桜を見て、また一年頑張ろうって思ったの。
こうやって桜を眺めて心で日記をつけるんだ」
「日記?」
「この桜をいつでも忘れないように。『桜日記』をつけるの」
「そうか……」
野明は強い。
転んでも、自分の力を信じて立ち上がる。
きっと何度でも。
「それに、遊馬との原点でもあるしね」
「俺との原点?」
「忘れちゃった? 遊馬があたしを始めて『野明』って呼んでくれたのここだよ?」
……そうだ。
あの初出動の時に、初めて名前で呼んだんだ。
『野明』って。
「じゃあ、俺の原点もここだな。
お前との初仕事の場所だもんな」
野明が笑った。
埋立地で初めて見た時のあの笑顔で。
「ねぇ、遊馬。 来年も一緒にここに来ようね……原点に帰るために……」
「そうだな。来年は酒持って来るか。 花見にはやっぱり酒だろう」
「もう、遊馬ってば……」
野明が困った顔で笑った。
「今年もよろしく頼むな、相棒!」
俺が右手を差し出すと、ちょっと照れ笑いをして、恥ずかしそうに俺の手を握った。
「こちらこそよろしくね、相棒!」
ここの桜が俺と野明の原点。
それから毎年、野明と二人でここに来て桜を眺めてた。
その後、野明が『仕事の相棒』から『人生の相棒』になって、毎年、子供達と一緒に桜を見に来る事になるとは想像もしなかったが。
酒ではなく、野明の手作りの弁当を持って。
家族で桜を眺める。
毎年1ページづつ増えていく。
俺達の『桜日記』。