たとえきみが




スーツ着て、かしこまった顔で、となりになんか座んないでよ。
そんなことされたら、泣きそうになるじゃない。

お盆のちょっと前。
遊馬と進士さんが篠原の八王子工場に短期出向に出ることになった。
期間は一ヶ月。
中秋の名月の前にはこの埋立地に帰ってくる予定。

予定、だけど。

ふたつ、やな話をあたしは聞いてしまっていた。

そのはなしを、誰にも、もちろん遊馬自身にも吐き出しそびれて…

あたしは、彼の出向当日を迎えてしまった。

午前中に遊馬は熊耳さんに、進士さんはひろみちゃんに型どおりの引継ぎをして、
午後から篠原に向かい…そのまま、帰ってこない。

出動がかかったときは、一号機の指揮も熊耳さんが兼務、

二号機キャリアの運転は整備班から誰かが担当することになっている。

そうやってつつがなくまわされるはずのひと月。
なのに。あたしはものすごく落ち着かない。

「お茶、新しいのにします?」

ひろみちゃんがあたしの湯飲みをみて、やわらかく微笑した。
すっかりぬるんでしまった麦茶。
手をほとんどつけられなかったそれは、デスクの上にちょっとした水溜りをつくっている。

「あ…うん、いいや、ここ冷房きついから、ぬるいくらいのほうがちょうどいいんだよ。」
そういって湯飲みを取ろうとして…水滴で指がすべる。
とり落として、派手に中身をデスクの上にぶちまけてしまった。

「わあああっ。こっちにまで侵食してくるっ!」
遊馬がとっさにデスク上のあたしのメモ紙と、自分のファイルケースを避難する。

「雑巾持って来いよ、給湯室!」

「あ、ありますよ、とりあえずこれで一旦拭いて。」

ひろみちゃんが自分のデスクの足元からかぴかぴに乾いた雑巾を出してきてあたしによこす。
ぼんやりと、デスクの上を拭い、「すすいでくる」と雑巾をもって隊員室を出た。

蛇口ひねって水を出して。
手に触れる冷たい水が心地いい。
しぼる気力もなく手と雑巾にだらだらと水をかけつづけて。
ああそっか、すすぎに来たんだっけとようやく思い出して水を止めた。

「随分丁寧にすすいでんな、電気もつけずに。」

うしろからかけられる声。

振り向かなくてもわかってる。

遊馬。

「あ…なんか前使ったヒトが使ってそのまんまかけたみたいでさ…。けっこう汚かったんだよ。」

「あり得ないだろ、ひろみちゃんの手元にあった雑巾で、そんなこと。」

「…………。」

「どした? 俺がちょっと出張に出るのが、そんなにイヤか?」

遊馬がとなりに来る。流しの前に、ふたり並ぶ格好。

「なんか、いいたいことあんのに、黙ってるだろ。」

「…別に…ない、よ…。」

「嘘つけ。そんだったら何でこんな顔してんだよ。」

くいっと、顔を遊馬のほうに向けられる。頬を手で包まれて。

「見本みたいな半泣きだぞ、おまえ。」

…そんな…そんなことしないでよぉ。それも、スーツ着て、よそゆきみたいな顔、してさ。

「仕事場だよ、ここ。それに、さ、短期…出向なん……でしょ、……単…なる…。」

「そうだって。そんな今生の別れってワケじゃないんだから、ンな顔すんなよ。」

ぽとん。涙が遊馬のゆびさきのほうに流れていく。

ぽとん、ぽとん。ひとつこぼしたら、止まらなくなって。

「…なに泣いてんだよ。抱きしめちまいたくなるだろうが。」

そっと、遊馬はあたしの涙を拭う。心配そうな顔をして。
…しんぱいさせてごめん、止めよう、止めようって思うんだけど…う〜ん、止まんない、やぁ…。

「……かえって、来るの……? ……ほんと、に。」

聞きたかった、こと。

聞いちゃいけないかもって、おもってたこと。

のどのおくからひきずりだすみたいに連れてきたその言葉は、
めちゃめちゃ、涙をともなって発せられた。

「あん?  …だからひと月だけじゃん、
それにその間会えないってほど、とおくに行く訳じゃないし。」

「じゃあ……じゃあ何で…寮、ひきはらう、の? なんでそれをあたしに、教えてくれないの?」

やな話、ひとつめ。あたしは潮見寮に彼氏のいる倫ちゃんに四日前、その話を聞かされていた。

『篠原君、八王子に出向なんだって? 寮ひきはらう準備でわたわたしてるみたいじゃない。』

…聞いてない。教えてもらってない。
それを教えられなかったことにもショックをうけたけれど、
遊馬が自分の知らないところにいってしまう、という事実のほうがはるかに重かった。

「……あ? あ、確かにちゃんとは言ってなかったなぁ、すまん、
荷物すくねえから引き払っても一緒だし、滞在するマンスリーアパートの住所、
俺まだそらで言えないんだよ。それに。」

あたまのてっぺんに手をおかれる。

いつもと同じに、優しく髪の毛をくしゅくしゅかきまわす、遊馬の右手。

「引越し手伝ってもらいたいけど、待機だろ。
明けにでもお招きできる状態にして呼ぼうと思って。
……だいいち、俺がお前にだまって、どっか行くかよ。」

……それって、あんまりちゃんとした理由になってないじゃん。
一月たって寮に空き部屋がなくなってたらどうすんのよ。

それに。……それに。

「熊耳さん。……に。」

そういったとき、あたしを見つめてた遊馬の目が、ふと曇った。

「熊耳さんに、神奈川県警のレイバー隊、立ち上げの、内示、出てる、って……。」

「知ってた、か。」

「こないだ、隊長室の前、通ったら……。聞こえた。
ねぇ、そしたらどうなるの、第二小隊って。」

「……俺がまた二機とも指揮するって言ったら……。ま、信じないだろうな。」

「……………!」

殴られたみたいな衝撃。

それは、そんな事態には絶対ならないだろう、っていう宣告みたいなものだった。
第二小隊解散。そういうこと、なんだ、ろう。

じぶんの顔がすうっとつめたくなっていくのがわかった。
目からぼとぼと零れる涙だけが、へんにあたたかい。

「ちょっと奥、入れよ。」

あたしの手を引くと、遊馬は給湯室の奥の、棚のくぼみにあたしを押し込んだ。

ぎゅっと、抱きしめられる。

いつもの遊馬のにおいがして、それがあたしを少しほっとさせる。

「せまい、よ……。」

「俺もだって。」

ふたりとも、ほんのちょっと笑いをもらす。

ちょっとからだをはなして、見つめ合って。

「…いいか、落ち着いて聞け。俺も聞いた話だし、
今からいうコトが全部おこるかどうかはまだわからん。
なにせ、内輪の話の段階のことも、まだいっぱいあるみたいだから。
俺と進士さんの出向は、とりあえず一月だ。
でもそのあとここに帰るかどうかは、決まってないらしい。」

「………。」

「熊耳さんの話も、内示が出てるらしいけど、まだ本決まりじゃない。
そんで、お前も、太田も、ひろみちゃんも、どこかしらに、って話はあるけど、
全部まだちゃんと決まってないらしいんだ。
とにかく特車二課は、いままでのカタチじゃなくなる、多分、近いうちに。」



こわれていくカタチ。

うしなってしまうもの。

砂のお城。

どんなに泣こうが叫ぼうが、かたちは変わってゆく。

ゆるやかに風化していくものもあれば、急激に、
いまみたいにこわれてしまうものも、あるんだ。

「……ンなに、泣くなよ。……ったくもう。」

人差し指で、あたしの頬を小突く。

おおきな手のひらで、あたしの頭をぐしぐし撫でてくれる。

「なにも……、捨てるぞって言ってるワケじゃないじゃねーかよっ。」

「……そんなコト言われたら……泣く位じゃおさまんないよ、あたし。」

ぐすぐす。ああもう、鼻水まで出ちゃってるかもしれない。涙が止まらない。
こわれていくおうちへの、ノスタルジーかもしれない。

「……照れくせーから、いっぺんしか言わないからなっ、このあとのこと。聞き逃すなよっ。」

ちょっとかがんで、あたしの目を真正面からちゃんと見てくれる。
こういうときの遊馬は真剣だから…、
あたしもそれに答えようと、必死に笑顔をつくって。

「……おめーは、置いてかねーからな、
たとえ違うトコに行かされたとしても、最低週いっぺんは、俺ん家、来てもらうから。」

「はぁい。」

ちゃんと、笑って、答えられただろうか?

わからないけれど。

でも、このひとは、このだいじなおうちがこわれても、
あたしと一緒にいてくれるって、言ってくれた。

おうちがあったことは思い出に、なってしまうんだろうけど、
このひとは、その後もあたしと一緒にいてくれるって、言ってくれた。

それだけは、嬉しくて。あたしは遊馬の首にしがみついた。

「……ねぇ、……して。」

小声で言って。まぢかにあった遊馬の鼻に、鼻をつける。

「お前なぁ、そんな言い方されたら、ホカのことしたくなんだろうが。」

「……いいよ? それでも。……どうせする勇気もないだろうから。」

「ばぁか、ここはスるのには狭すぎんだよ、…我慢しろ、キスで。」

こつん。離れた鼻がもういちどぶつかって。遊馬があたしの背中に腕をまわしなおす。

「…我慢します。……キスして。」

すこしずつ、唇がちかづく。触れる寸前に、遊馬がふいに笑い出した。

「お前、ほんのちょっと前まで、職場でするの、絶対ヤダっていってたじゃん。」

「……とくべつ、なのっ。」

「はいはい。」

唇が触れる。

頬が触れて、あたしの頬についていた涙が遊馬のそれに移る。

ちょっと顔を離したときに、涙がつたったみたいな彼のその顔が見えて、
それは泣きたかった彼、を想像させて、またちょっとだけ、涙があふれた。


二課再編があったのは、このちょうど2月あとになる。

     [了]


『I have all thumbs.』のキリ番ニアピン(2001)リクエストにちょっぷ様