この気持ちに、あえて名前をつけるとしたら



「何処に行ったのかなぁ……」

 広い広い八王子工場の敷地。
 あたしは遊馬を探して歩いてた。
 
 春の優しい光があふれる空は淡く霞んだ水色で、芝生や木々は力強い緑。
 すべての植物が春の到来を喜んでいるような、ふわふわと暖かい空気の中をただ歩くだけで、何故か少し幸せな気分になれる。

 でも、幸せに浸っている場合じゃない。
 もうすぐ、昼休みが終わっちゃうのに、遊馬が見つからない。

「もう。 ほんとに何処に……あ」

 ふと、思い出して、あたしは方向を変えて走った。



 そこは、開発室の裏手。
 社員の人達は大体、従業員用出入り口に近いところでのんびりしてるけど、遊馬はそこにはあまり行かなかった。

『人が多くてのんびり出来ね〜』

 遊馬はそう言って、人気のないところでよく転がってた。
 
 それに、あそこには……。



「やっぱり」

 開発室の裏。
 そこで遊馬は寝転んでた。

 遊馬のすぐ真上には、綺麗な花びらを満開に広げた桜の花。

 昔、話してくれたことがあった。
 実家の庭に桜の木が一本あって、その桜の木は、亡くなったお母さんのお気に入りだったこと。

 花にはあまり興味のない遊馬だけど、桜は、特別だった。
 だから、桜が咲き誇るこの時期、ここにいるって思った。

 桜の木から少し離れたところで、あたしは立ち止まり、そしてゆっくりと静かに足を進めた。
 静かに近づいて、そおっと顔を覗き込む。

 特車二課にいた頃よりも、顔のラインが少しシャープになったかな?
 
 あの頃よりも、ずっと大人の男の顔立ち。
  
 知り合って、もう3年。
 関係は何も変わってない。

 けど、あたしの気持ちは、少しづつ変化して。

 この気持ちに、あえて名前を付けるとしたら……。

 

 膝を折って、気付かれないように、息を殺して顔を近づける。
 
 ……ぐっすり眠ってる、よね。

 起こすのをためらってしまうくらい、無防備な寝顔。

 でも、起こさなきゃ。
 でも、もう少しだけ。

 そんなあたしの思いを知ることもなく、遊馬は眠り続けてる。

 ……そろそろ起こさなきゃ。

 そう思った瞬間、音が聞こえそうな勢いで、遊馬の目が開いた。

「え!? あ、あの」

 びっくりして、間抜けな言葉しか出てこないあたしの目をまっすぐ見詰めたまま。

 遊馬が言った。

「お前な、こういう時は、何も言わないでキスすりゃいいんだよ」



 この気持ちに、あえて名前をつけるとしたら。

 それは、きっと……。